コロナ禍で教室をお休みしていたので子供たちの作品や活動をご紹介することができませんでした。自粛期間中に昔のできごとを整理しましたので載せてみます。(2020春)

 

20年も昔のこと、新聞の案内欄をご覧になって造形教室作品展にお越しになった方から、活動が面白そうだから記事を書いてみないかとお誘いを受けました。群馬県大泉町に配布の朝日新聞ミニコミ誌「アサパル」」に、です。

2000年から2009年までの、1年に2回、合計19回書きました。ブログやホームページ、フェースブックもやっていなかった頃のことで、書くことによって造形教室に対する勉強にもなりました。

文章だけの記事だったので、写真を探し出し、併せて構成を変えました。内容は変わりません。

懐かしく楽しい作業でした。

 


たまご 2009/10/19

たまごで生まれるものはこの世にいっぱいある。

が、虫や魚など全てを含む卵ではなく、食べる玉子、そう、あの愛らしいたまご型を、子供造形教室で形づくることにした。

 

簡単そうだが当たり前すぎて、意外とよく考えたことのない形だ。

本物のたまごを目の前に置いてつくることにした。

改めて眺めてみると、大きさも然ることながら、形がみな同じではない。

カーブや長径短径の割合が微妙に異なることに気づく。

それでも、誰が見たって、たまご以外のものに見えることはない。

 

初めに、なぜそのような形になっているかを、みんなで考えた。

親鳥が抱きやすく温めやすい。

回転をさせやすい。ふむふむ。

転がっても途中で止まる。

壊れにくい。

産まれやすい。

う~ん、なるほど。自然にあるものはきっとみんな、それがそういう形である理由があるのね。

 

石粉粘土でつくった。

やすりで粘土の凸凹を均すことができるし、衝撃に強い。

夏休みの間寝かせて、芯まで乾かした。

好きな大きさにつくることにしたから、いろいろな鳥の卵になったね。

鶏に鶉、あひるも。おっ、これはペンギンかな? 

 

持ち上げた瞬間、乾いてる!と感じる。

ずっしり重かったのが、軽く優しい感じになっている。

 

その感覚も楽しい。

 

色つけをしよう。はっきりくっきりと、ね。

アクリル絵の具で描けば、表面がつるつるっぽくなる。いい感じ。

 

 

ところで、我が家のケヤキが巨大になり過ぎたので、この前の冬、職人さんに切ってもらった。

巣の造形作品をつくろう♪と思って、木の先端を取り分けておいた。

ケヤキは堅いので細い枝でも丈夫だし、艶があって木肌がきれいだ。

前々から、自然に落ちてきた小枝を眺めては、美しい!と惚れ込んでいたのだ。

いつか何かをつくろうと機会をねらっていた。

 

まず、数本の枝を透明糸でくくって、簡単な土台をつくっておく。

それに編み込んだり積み重ねたりして思い思いに量感を増やし、ばらばらに弾けないように接着剤を隙間に塗った。

いろいろな形の巣ができあがってきた。

やっぱり生の素材はおもしろい。 と、ひとりニヤッとする。

 

こうして、色とりどりのきれいなたまごが、この巣の中に納まった。

 


繰り返しの模様  2009/5/18

イラン旅行をした時にペルシャ更紗の布を買った。天然染料をつけた版木を木綿の布に押していく伝統の技だ。版押しを重ねることで模様が複雑になり色味が深まる。規則正しく隣へ反復していく形はリズミカルな広がりを感じさせる。どこまでがひとつの型か、指で辿って探し出すのも楽しい。

そういう繰り返しの模様に興味を持って、超簡単な方法にアレンジして、子供造形教室でやってみた。版は消しゴム一個だけ。加工しやすく絵具の乗りもよく、保存が効く。まん丸や四角形ではない形に削るのが今回のルールだ。方向性が出るようにするためだ。

 

まず、好きな色の画用紙に、自分で升目を引いておく。すべての升目の中の同じ場所に、同じ版を押していく。色画用紙とは全然違う色か、お似合いの色を使うこと。ここは感覚に任せよう。そして、升目に対して真横や垂直に押さないこと。ある同じ角度をつけて版押しすることが重要だ。動きが出るのだ。ぎゃあ、曲がっちゃった。あれぇ、よくつかなかったよ。気にしない、気にしない。それもリズムになっておもしろいよ。繰り返しの同じ作業は子どもにとって疲れるものだと思うが、大騒ぎの子も黙々の子も、一生けんめいだった。

 

次に透明シートの制作にかかる。やはり同じサイズの升目の、同じ場所に版を押していく。水彩絵の具にボンドを混ぜて版に塗れば、透明シートにもよく密着してくれる。ひゃー間違えた!ってぇの子のは、その箇所だけ濡れティッシュで拭けば平気、きれいになる。

 

さてこれから、一番楽しい作業だ。色画用紙を下にして、透明シートを上に置く。同じ場所に模様が重なる。これで多色刷りと同じだ。90度回してみよう。逆さにも回せる。左右上下に微妙にずらしてみよう。裏返しにしてもいいよ。どれが一番おもしろい?お気に入りの組み合わせをつくろう。こうして連続する、しかも初めには意図しなかった模様が効果的にできあがった。

 

 

次の2枚は同じ版を使ったもの。

版の並べ方、版につけた色、台紙の色が異なるだけ。

こんなに違う模様ができる。

 

子供造形仕事は、こうなるようにああなるようにと自分の思いを持ちながらつくりあげていくことで、密度の濃い作品ができあがる。けれどもたまには、こういう風な、半分は偶然で生まれる作品づくりもおもしろい。一番集中したのは私だったかもしれない。

美しい布地や壁装飾の写真が載っている本を見ると、つい癖が出て、模様の構成単位を指でなぞって確かめてしまう。

 

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土の建造物  2008/10/20

土壁塗りの講習会に参加した。

土と水と、稲藁を切った苆(すさ)を混ぜて、一か月以上寝かせた壁土が準備されていた。

苆(すさ)とはつなぎになる材料のこと。石こうを固めて大きめの作品をつくる時にも繊維質のものを混ぜるとひび割れせず壊れにくくなる。

稲藁は繊維質となるほか、発酵すると糊分となってひび割れを防ぐ。

古い家を建て替える時に出る壁土は、熟成が進んでいて、さらに新しい家の上等の壁材になれるそうだ。

すいすい壁塗りしているように見えるけれど、重くて大変な作業だった。

けれど、日本の壁土のすばらしさにも触れて感動的な講習会だった。

稲は実が食料になるだけでなく、茎や葉までもが苆(すさ)になるだけにも留まらず、粘着成分にもなるなんてすばらしい。 

 

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趣味でシルクロードを辿る旅をしている。

あの万里の長城の続きには、漢の長城が西に延びる。日干しれんがで築いたものだ。

 

崩れながらもここに二千年間。何もない、風が吹きすさぶ原野に、この小高い土の丘を見た時は、思わず感嘆の声をあげた。

 

土と草に、粟や稗のお粥を混ぜてつくるそうだ。木枠に入れて天日で干す。乾いたら木枠から外し、積み重ねる。泥を塗って仕上げる。

 

 今は朽ちた、関所、食糧庫、狼煙台、の大きいこと! 転がって崩れた日干しれんがから茶色い草がはみ出ている。

 

さらに西へ、中央アジアへ。ウズベキスタンで見た日干しれんがは、なんと、土と駱駝や羊の毛に、チーズや卵を混ぜてつくったそうだ。高価な!と思ったが、あんなにたくさん羊や鶏がいるのだもの、なるほどー。その土地で簡単に大量に手に入る物が建築材になるのだ。

 

アヤズカラ/ウズベキスタン

 

アルク城/ブハラ/ウズベキスタン

 

イスマイール・サーマーニ廟/ウズベキスタン

私の好きな建造物。

892年から943年の50年間かけて建設された。

日干しれんがでつくられている。

れんがの凹凸で模様ができている。

 

その後、釉薬をかけて焼成するタイルがつくられるようになり、色褪せない建造物が今日も見られるようになった。

構造体は日干しれんが。タイルも土からつくられる。

 

焼成煉瓦は、燃料になる植物が大量に必要だ。特別な目的のある建物には焼成煉瓦が使われる。

ほとんどは日干しれんが。煉瓦を積み上げた面に泥を塗り、目地を無くす。ちょっと上等な建物には漆喰、または漆喰を混ぜた泥を塗る。

土獏地帯では燃料材がないが、雨も少ないので焼成せずともよいのだ。

 

イランでは、有名なぴっかぴかの観光地をはずれれば、そこは泥色の日干しれんがの街。

 

 シリアのベドウィンのおうちは、円形に石を積み上げながら内と外から泥を塗り固める。ある高さ毎に木材を水平に渡して足場とし、ドーム型をつくる。石と土の組み合わせ。

 

木のあるところでは木でつくり、石のあるところでは石でつくり、土しかないところでは土を使う。そう、土ならどこにでもある。タイルだってできちゃう。

古代ローマ帝国時代の石造建築は、崩れてもなお威圧感があった。

 

 

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日本の土壁はしんみりと美しい。雨が多い気候風土ゆえの芸術品だと思う。 

 

壊れかけてもメンテナンスができる。崩れたら自然に帰る。新たな建造物へ再利用もできる。魅力的な世界だ。

泥壁とは言わず、土壁と言うところもよい。

 

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大シリア旅行の巻 2008/5/19

法隆寺金堂のエンタシスの柱。ギリシャから伝えられた文化だと遥か昔に習った。憧れのシルクロード旅行、今回はレバノン・シリア・ヨルダンを廻った。

  

昔この辺りはまとめて大シリア地方と呼ばれ、旧約聖書の時代から重要な事件の舞台となり、諸王国が興亡を繰り返した。何重にも文化が重なり合い、壮観な建造物を遺した。

その偉大な遺跡パルミラを後にして、見渡す限り砂礫の大地をダマスカスへ移動中、バスが故障した。

 

技術者だという、自家用車で通りかかった男があちこちいじくりまわしたが結局立ち往生となった。

 

ドイツ人観光客のバスが停まってくれて、代わりに私たちを乗せ、一番近いベドウィンのお店に運んでくれることになった。

 

乗り降りの交代をするとき「ありがとう」というと「welcome」と笑顔で返してくれる。

 

このバスが迎えに戻る間、ドイツ人一行は幹線道路の道端で待つことになる。元気な一行だから、岩山と土漠しか写らない景色も楽しんでくれたことを祈る。

そのベドウィンの店はぽつりとあった。『BAGDAD CAFE』と英語表記。ん?ここはシリアだぞ。なら、ダマスカス・カフェではないか? 

  

しかし、古代、地中海とバグダッドを結ぶシルクロードでもあったので名付けられたらしい。

長距離バスの休憩所なのだが、昔もこの辺りはオアシスのサライだったらしい。

この後にも先にも寄れる場所はないみたい。

 

次の4枚はバグダッドカフェの全景。

幹線道路から見る。

左から右へぐるっとつなげて撮ったつもりなのだが、わかるだろうか、、、

あたりにはこの他に建造物は何もない。

現代の国境線は、欧米列強による線引きの結果だ。彼らの心の帰属国ってあるのかな~。

 

かっての砂漠の遊牧民も、今は定住化が進んでいるという。子供たちは学校へ通う。インターネットを使い、英語を駆使し、米ドルを扱う。車を目的別に多く持つ。

 

次の画像はショップカードの裏と表。

冬には雪が降るそうだ。

 

手づくりお土産や絵も売っている。

これはミラーワークのバッグ。5US$だった。

鏡ではなくアルミの板がはまっている。

おもしろくて素敵。

バグダッド・カフェは、何家族かで営んでいるらしかった。

強い日差しの下に点々と建物がある。

案内をしてくれた。

 

初めの1枚は、旧宅。お昼寝するのに気持ちよさそうな天幕張り。

 

その次の3枚は新しいおうち。中はひんやり涼しい。

石を積み上げて外側と室内側を泥を塗って仕上げる。室内は泥壁の上に漆喰塗りをしてあった。

壁は石+泥壁の、かなりの厚さとなり、外の熱気を遮断できるのだ。

別棟の厨房からは、いい匂いと調理の音。鶏が地面を歩き回っている。ついばむものがなさそうに見えるけれど、目立たない草が生えている。

 

なだらかな土獏の丘に目を凝らせば、羊・羊・羊。彼らのものだ。

 

一番私の目を引いたのは、自家製発電機。私が興味を持ったら一生けんめい説明をしてくれた。二基あった。故障に備えて、と言う。

動力はディーゼル。わざわざ運転を止めたところも見せてくれた。

廃ドラム缶から湯になっちゃった冷却水が引いてある。

   

太陽光発電もたっぷりと思ったが、重油の方が効率がよいのかな。タンクローリー車も持ってるのだから

我らの新しいバスがなかなか来ないので、急ごしらえの軽食もつくってもらった。

ホブスというアラブ風の平らなパンと生トマトと玉子焼きだけの。日々、ホテルとレストランの豪華な食事をいただいている腹には、それはシンプルでとてもおいしかった。

ホブスは、さっき鶏も歩き回るテラスにいっぱい積んであったヤツだ。

けれど乾燥していて泥が付いても払えば済むし、蠅はいないので汚くない。卵は急いで鶏に産ませたかしら!ウソ

写真を撮る間もなく平らげてしまったので後でメモをつくっといた。

 

フレンドリーな顔立ちの、健康的な体躯の男たち。もしかして、きょうの仕事を終えて、頭にかぶっている日よけ布のカフィーヤと、丈長のベドウィン服を脱いだら、Tシャツとジーンズだったりして? とにかく世界中から観光客が来ているのだから―――土獏でドイツ人一行にしか会わなかった頻度だけど―――、オリエントの雰囲気を醸し出しているとしても、それはそれでよい。

 

これは彼らがつくったおもちゃ。お茶目。

部屋に入るとクモのおもちゃが落ちてくる仕掛けもあった。

 

これはアラブのスイーツ、バクラヴァ。

形もいろいろあり、違う名前で呼ぶこともある。

ピスタチオたっぷり。好き。

 

こうして新しいバスが迎えに来るまで、ほぼ一日をバグダッドカフェで過ごす羽目になったが、ツアー日程にはない楽しさと興味があった。

 

その日の目的であるウマイヤ朝首都、ダマスカスの観光がほんの障りだけになってしまったが。

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追記2020/7/5

 

今はバグダッドカフェはどうなっただろうか?

あそこの家族は無事にしているかしら?

 

バグダッドカフェ66というアメリカ西海岸を舞台にした映画もあるらしいが私は知らない。

 

ミラーワークのバッグ。

気に入っていて、何度も使っているうちに壊れてきて、直して今も使っている。

 

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木は偉い   2007/10/16

春から夏にかけて木はすばらしく成長して、濃い緑陰をつくり出す。葉にある気孔の蒸散作用で、水をぐんぐん吸い上げる。

盛夏前、それは最高潮に達する。瑞々しい木は、皮をなんと指でするりとはがせるのだ。この時期だけ、そして採り立ての時だけ。その作業は快感なのです! 

子供造形教室でやってみた。木は、我が家の庭木のエゴノキ。太い枝を伐採し、格好も整えて、さあ皮むき。

始まると一心不乱だ。むいた木の肌は、ひんやりすべすべ、柔らかみがある。水がにじみ出てくる。気持ちいいね。

皮付きの木は時を経ると、表面がボロボロになってくるけれど、皮をはいだ木はずっとそのままの美しい肌を残す。

 

 皮は伐採した翌日になるとむきにくくなってしまう。だからみんな頑張った。やり過ぎて爪の間から血がにじんで来たりしたけれど、手は止まらなかった。おもしろいのだもの。

 

 枝とは言え、葉っぱが茂ってずしりと重い。その日の教室用に、新鮮な素材を毎日揃えるのは、慣れない重労働だったが、子供たちの、歓声&夢中の姿に、報われる思いだった。

一昔前は、山で好きな木が見つかったら、立ち木のまま、上と下にぐるりと刃物で切れ目を入れ、へらで皮をまるごと一枚剥ぐ。

その場所で外皮は取り除き、作業場に持ち帰って内皮をあく抜きしてから、ひも状に細く割いて籠を編んだのだ。

 

内皮は木によってアースカラーいろいろ。色の組み合わせも楽しい。

中身は木材になる。

外皮にも美しい種類があって、今では押し花のように平らになった樹皮シートも売られている。

 

籠編みの講習会で山へ行ったのさ。斜面で作業するのはたいへんだったけれどいっぱい学んだ。

 

さて、造形教室の木の枝は、夏休みの間にすっかり乾いた。すてきな模様を描こう。全部塗っちゃだめだよ。木の色を残しておいてね。おしまいにコーティング。年月が経つと木は日焼けするからね。

 

長年、庭のエゴノキ一緒に過ごしてきて、この木は虫がつかないと思っていた。

けれど、切ってしばらくすると、「住みかがなくなっちゃう」と思うのか、かわいい虫がいっぱい出てくるのにはびっくり。木は一生けんめい潤って生育して、こんなにたくさんの虫を養っていたのね。それで小鳥もいっぱいやって来ていたのね。

 

木が生える国の、豊かな自然の贈り物。

 

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等身大作品制作の巻     2007/5/21

「自分とおんなじおおきさをつくりまーす。」

 

大きな段ボールに子供たちを寝転がす。おもしろい格好をしてね。お友達にぐるっと形を描いてもらいますす。体のとこぎりぎりじゃ、くすぐったいから、少し離して線を描くのよ。

キャッキャッとお互いに体の輪郭を描いた。その線が正確ではないのが、かえって太めのおもしろい形を生み出した。

それをカッターで切り抜きまーす。カッターは使い終わったらすぐ刃を引っ込めるのよ。はい、よくがんばって切ったね。切り終わった自分の形を眺めます。

 

 さあ、ここから大変身よ。も~っと動きをつくろう。もおーっとキャラを濃くしよう。大きな耳をつけようか。ふんふん、しっぽね。わあ、羽があるのね。あら、剣を持つの? ん?お姫様に? すてきすてき!

 パーツを別の段ボールでつくって貼り付ける。

いよいよ色塗りだ。本当の色よりももっとすてきに、色と模様をつけましょう、発明したキャラなんだから。

 

 何しろ実物大だから、作業場所が足りないっ。床に広げたり壁に立てかけたり。

ちょいとあなた、今、頭の方やってるなら、足の上に乗せさせてくださいな。

哲学的なタイトルね。「ガオガオタイガー」「カラフルとんぼ」。元気そうな題名だ。

人の形を描くことはなかなか難しい。サイズが大きくなると一層たいへんなのだが、寝ころんでなぞると「人」と認識できる形になれる。会話を交わしながら本人だけの世界をつくっていく。

 

 制作と並行してもうひとりの自分のタイトルを考える。制作途中でタイトルをつけると、その後の創造に熱を帯び、造形作品も求心力が出るみたい。

「青空のねこ」やら「心の中の鬼」。

こうして自分とは全く違う、新しい形になった。一体だけでも完成度は高い。集団にして眺めると、にぎやかで迫力が増す。作品を少し高い位置にぶら下げることによって、ますます動きと凄味が出た。

 

全部を集合させて、作品名「仮装大会」と銘打った。

「ハンズ大賞展」に入選、みんなぁ、やったね。子ども造形教室のうれしい出来事でした。

 

 

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追記2020/7/3

この翌年から「ハンズ大賞展」は東急ハンズの都合で開催されなくなってしまいました。

残念無念。

 

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かんぴょうの実  2006/10/16

実りの秋である。畑のかんぴょうが、緑から白っぽくなってきた。

 

皮に穴を開け、中身を取り出す。造形教室で、かんぴょうで、お面や入れ物をつくった時のことだ。

 

かんぴょうは夏に向かって、驚くほどの速さで生育する。

「かぼちゃみたい。」

 

実の大きさはスイカ以上にもなる。

「重いっ。」

秋。熟れた頃合いを見計らって中身をくりぬく。

「くさいよー。」

にぎやかな子供たちの声。表皮を乾燥させる。軽くて丈夫な素材になるのだ。好きな形につくりあげる。

 

「あれーっ、こんな風になっているんだぁ。」

造形教室の子供たちが歓声をあげる。内側は空洞になっていて、イスラム寺院の丸天井みたい。おびただしい数の種が規則正しく立体的に並ぶ。盛夏には果肉だった部分が綿状になって種を育んだ。

「うん、芸術的ね。」

表皮と果肉を透明状にして3D映像で見たいくらいよ、その種の配置。

 

「この種もらっていい?」

一年草のかんぴょうはもう一生を終えてしまったけれど、人は、その種に未来への希望を見出し、命のつながりを感じ、豊かな気分になれるのだ。

 

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夏に向かって、かんぴょうの苗は、育つ、育つ。いつも目をかけて、つるがご機嫌よく伸びてくれるように、刈り取っておいた雑草を藁の代わりに敷き、あらぬ方向へ向いてしまったつるをこっちだよ、と向きを直す。子育てと同じね。

 

ぷくっとした雌花の付け根のところが、まるで空気を送り込まれた風船のようにどんどん膨らんで、カボチャよりもスイカよりも、もっと大きな実に育っていく。

秋、表皮が硬くなり、中身がふがふがになった頃、殻を自由に切ったり彩色したりできる。子供たちの思い思いの作品になる。

お迎えの親御さんが

「わ~、これは何ですか?」

と、まず言う。私は鼻高々と

「かんぴょうの実なんです。」

「えっ、あの食べるかんぴょうのこと?」

「ハイ、食べる時期を過ぎて、秋になるとね・・・」

説明を繰り返す。みんなの反応が楽しくて、また作品づくりの課題にしてしまった。

 

 

昔からアジアでは、実が生活用品として役立ってきたが、私は6年前、自分で栽培してみて初めて植物としてのかんぴょうを目にしたのだった。種は種屋さんで入手した。今あるのは、この時の子孫の種なのだ。

 

 植物も私たちも、時間の流れの中で留まることなく絶えず変化している。そして何らかの形で未来につながっていく。

子供たちが植物の営みを身近に感じて一緒に育ち、収穫して食べ物になったり道具になったりしていく過程を、ゆっくりと経験してほしいと思う。

 

 

 

ウズベキスタンで見た、かんぴょうとひょうたんのお土産店。

 

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いすづくり  2006/5/15

子供造形教室でいすをつくった。三角形の強度を利用した構造で、簡単で丈夫。

とは言え、一通りの木工作業あり。鋸で手を切ったり、金槌で指先をたたいたり、怪我人続出!

 

こうだよ、ああだよ、抑えていてね、あら、やってあげるから見ててね。

初めは鋸がうまく使えなくても、3個目4個目と切っていくうちに、コツを会得していくものですねぇ。

 

つくりたい&おもしろいと思えば一生けんめい工夫する。鼻息も荒く、口もきかなくなる。

いろいろな年齢の子たちが一緒のクラスにいる。

歳が大きくなると制作は楽勝か?って。それがそうでもない。

例えば切り口。小さい子は、曲がろうがぎざぎざになろうが、切ることに達成感がある。

年齢が上がると、きれいに正確に仕上がらなければ気がすまない。おまけにデザインも凝ってくるものだから、早く完成するわけではない。

 

そう、ここは与えられた形をコピーするのではなく、制約の上での(構造が理屈に合わなけりゃいすが潰れるからね)、自由なものづくりをするところだ。

 

つい最近、若いママから子供の進路相談を持ちかけられた。

育てられた側としてはどうなのだろうと、この間まで子供だった我が娘に聞いてみた。

 

「不安定感いっぱいのこの時代、一生けんめい勉強してそれが何になるか。入った会社の行く末がわからないし、自分がふるい落とされるかもしれない。けれど、ああしたい、こうしたいという思いがあれば、勉強にも頑張れるし、日々の仕事に精を出せる。そう、自分なりの動機と目的を持つように、子供時代に仕込まれるべきだ」って。

 

へえ、いいこと言うじゃない?

一緒に付き添ってものを考えたりつくり出したりすることは、こどもの気持ちを後押しする。受け身の便利ツールに、安易に子守をさせちゃあいけないよね。

 

Face-to-face。手と体を使う。結果が出る。褒められる。自分でもステキと感じる。画面上ではない現実の世界。これこそが、子供が、自分の人生を生きる糧になるのだと思う。

 

 

今、いすたちが教室に並んで、作者が腰を下ろすのを待っている。


アートはことばを超えて 人と人をつなぐ架け橋 2005/10/17

アートの世界は便利。言葉をマスターせずとも私たちは、外国版の美術書を楽しめるし、海外で美術館に行っても感じるままに観ることができる。

 

 造形教室にニュージーランド人のJちゃんが入った。お父さんの仕事で、日本に来たばかり。で、日本語がほとんどできない。

 でも、アートが好きでさえあれば、ことばなんてー!

 

 ただ今、教室では、課題『もうひとりの自分』が進行中。大きな段ボール紙を床に用意。

「おもしろい格好で寝転がってね。」

そのまんまの形をチョークで別の子が写し取る。一緒の作業はみんながキャハキャハ打ち解ける。

「これを切ったり貼ったり色を塗ったりして、全然違うキャラクターに変身させていきまーす。」

そのためにラフスケッチ。うーん、いいねえ。

 

 アートはマニュアル通りにやる仕事ではない。言葉での細かい指示はかえって邪魔だ。何しろここには、材料やら作品やらのゲンブツが目の前にある。あっちの道具、こっちの作業、と立ち回る。それをつくりあげる仲間がいる。だから少しのことばでテーマの意図がJちゃんに伝わる。とても便利ね。

 

 こどもにはその子が生まれ持っている自然のエネルギーがある。それプラス、その子がこれまで見聞きした経験が心の肥料になっていて、それらを基に自分の世界を具体的に表現する。

わぁ~。だから外国人のJちゃんは思いがけない発想をしてくれる。今度はJちゃんからみんなが刺激を得るのだ。教室が活気づく。

 

 紙面で読者の皆さんにこどもたちのアイディアを、文章では説明しきれない。けれど、そう、絵や記号や短いことばで描かれたものは、見ればだれでもすぐに分かり合えるのだ。

 つまり作品をつくり出すのには国境がないということ。美しいものやおもしろいものやカッコイイものは、誰が見てもステキで心惹かれるものだということ。

 

 みんな一緒にいる空間の中で、ゆっくりと自分の創造の時間が流れる。

 そしてきょうも、「ハ~イ!」と言ってJちゃんがやってくる。はにかみ笑いしながら。

Jちゃん、制作中。

形や色がはっきりしていてステキ。


集合作品入選の巻     2005.5.16

 「これからみんなに領地を配ります。楽しくておもしろい村をつくってください。」

子供造形教室でのことです。

 

これに先だってまず、大きな紙に大きな卵型を描いた。それを人数で分割。分割線上にだけ、隣にまたがる道や川の印をつけた。ここまで事前準備。

境界線を鋏でジョキジョキ。1枚ずつ子供たちに渡した。初めの卵型のことは、彼らには、ヒ・ミ・ツ! 自分の領地がどこにあるか知らない。それが狙いどころ。

 

さあ、大工事の始まり。自分の領地内は自由にデザインしてね。けれど紙の縁についている印を守って、道や川を伸ばしていくんだよ。

モデルボードと超軽量粘土で半立体状に起伏させる。土地を生き生きさせるモノもつくろう。木を植えたり建物をつくったり、と。あら、怪獣も!

 

自分の領地に題名をつけようね。お話もつくってね。そう、これで濃厚な主張のある領地になれる。なになに?「笑う山」ですって? 「美しい自然を守ろうとする神の話」「満月の夜だけフツーでなくなる村」うん、おもしろそうだね。

同時進行で色付け。メディウムを混ぜ込んでそれらしいテクスチュアにしよう。絵具は必ず混ぜて使うこと。そうすればみんな違う色になるから。

いよいよ待ちに待った、つなぎ合わせる瞬間がやってきた。

「わあ、僕の領地はここだったんだね。」

「ああ、私の土地は○○ちゃんとつながるんだー。」

 

かくして1本の道路が領地を抜けるたびに色が変わり、境目ごとに川の流れの色がすてきに絡み合って、摩訶不思議な世界ができあがった。単独の作者では実現できない、時空を超えて様々な要素がぎっしり詰まった、たまご型の大きな村になった。

 

教室の名前を取って『もえぎふしぎ村』と名付けた。東急ハンズ主催「ハンズ大賞作品展」に応募したところ、わ~い、一次審査をパス。ドキドキの本審査もめでたく入選の運びとなったのであった。


シルクロードをカシュガルまで行きました    2004/10/18

日本から乗り継ぎ地の北京よりも、その先さらに長く飛行して、ユーラシア大陸のへそ、ウルムチへ。そこから今回の旅行の始まり。

 

 自分が地球上のどこにいるのかを確かめる作業は、旅行の醍醐味だ。地球上の場所によって気候風土が異なる。暮らし方も異なる。その遠く離れた場所の違和感を、現代に生きる私たちは、早い乗り物のお陰で、短い時間に体験できる。

 

 そんな広大な中国なのに、国内単一北京時間を使っている。新疆では2~3時間のほどの時差になる。ローカル時間を表す時計もあったけど。

 

 夏場だけはシエスタがあるそうだ。1時半から5時までお昼寝タイム。乾燥気候だから何とかしのげるが、昼間40度以上になることもあるからだ。

 

 私たち、何がたいへんだったか、って、朝は5時とか6時にモーニングコール。7時から8時ごろにホテルを出発。薄暗い。ヨーロッパでの夏時間みたいだ。夜は現地での夕暮れに合わせて夕食や夜市見学がある。しかし私たちツアー客にはシエスタがない。旅行会社のサービスゆえの、長~い活動時間と短い睡眠時間なのだった。

 

 そろそろ疲れて来たと思った頃、お腹をこわした。そこら辺の水は飲んでいない。ではどうして? 食べ過ぎなのだ。取り皿でいただくからどのくらい食べたかわからなくなる。とりわけ民家での昼食は楽しくておいしかった。大きな民家がツアー会社と提携している。

  ブドウ棚のある中庭で、石炭のかまどで次から次へと料理してくれる。見慣れないものほど食べてみたい、と、好奇心の方が勝った。旅行に出かけたら少食にすると、心に決めていたのに。

 

日本に帰って来てから、地図の上を指でなぞりながら日々を振り返る。これがまた楽しいことったら!

 

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砂漠のオアシスの、民家の庭と畑。たわわに果物が実る。

離れにある、日干し煉瓦の小屋で天下一品の緑色の干しぶどうがつくられる。

 

台所では豪快に次から次へと料理。この家は立派な厨房だった。燃料はコークス。

 

因みに、食器の洗い方も豪快だった。汚れていても何のその。

 

ウイグル族主食はラグ麺。手に油をつけながら伸ばしていく。

 

赤ん坊のゆりかご。みんなと一緒の所に。

坊やも客と一緒にご飯をいただく。

クチャ近郊のスバシ故城  滅多に降らないという雨が降って、大地をえぐりながら川ができて怖かった。

 

とても暑かったのだが、一気に、涼しいどころか寒くなった。

 

クチャの街。ロバがよく働く。

ナツメや干しぶどうが地面に積まれている。崩れるとスコップで集める。

 

お馴染み香辛料屋さん。

キジル千仏洞。

観光客は私たちツアーのみ。空いててよかった。1室ひとりで見れるくらい。

 

修復中。

 

内部壁画は撮影できなくて、netから借りた。

入ってすぐ、ラピスラズリの青々しさに感動。敦煌やベゼクリクよりも、距離的に手に入りやすいのかな。

男の飛天の躍動感、まさに空を駆け巡るかのよう。

 

西方の様式が濃厚だった。やはり、距離?

風が強いこと。発電にもってこい。

 

延々と狼煙台がある。日干し煉瓦。2000年もの間溶けてない。

 

ここに駐屯した兵士の困難に思いをはせる。

 

 

 

タクラマカン砂漠公路を南下する。砂で道路が埋まるのでまず道路側から植林。

水が巡るようになっているが足りない。

 

トイレなんてあるはずはなく、青空トイレ。いつでもトイレ。どこでもトイレ。

誰かが言い出すとバスは止まってくれる。

平らでなだらかに見える砂丘はけっこう凹凸あり。

バスを降りて、男は道路の右側、女は左側、と指示される。

奥地にむかって歩いていけば完全にお互いが見えない。

立ち上がるとバスが見えて、方向がわかる。

 

ああ、よかった。

 

ホータンに来ました。

市場。やっぱり私は布に目が行く。

アトラス織り。

ウイグル族の衣装になる。

 

縦絣のみで、大胆な色で絣模様も大きい。

 

赤ちゃんも陳列しているみたいにのどかな風景。

 

誰もが微笑むよね。

 

手機は観光用だけだと思っていたが実際に製品をつくっていた。男の職人も多いのに驚いた。

 

絨毯工場。

ママが子連れで働きに来ている。

 

幼児は私たちに興味津々。

 

昔ながらの紙すき屋さんがまだやっていて、見学した。手に買った紙を持って記念写真。

いよいよカシュガルの街。

  

職人街。

  

 

昔懐かしい風景。

カラクリ湖、標高3000m。羊の袋に酸素を詰めてガイドが持って行った。

 

バス道が怖いこと! じゃらじゃら崩れてくるんじゃないかと。

 

観光地なので店が出ている。売りつけから逃れると、追いかけてきて息が上がる。

 

トイレはクランク形状の壁でつくられていてドアがない。屋根もない。

旅に行くと、その土地のトイレの写真を撮る。

レストランよりも重要だから、トイレは。

 

ここは撮り忘れた。いやぁ、いろいろなトイレがあるもんだ。

 

山を越えれば、まだまだシルクロードが続く。

 

 


『守り神』に何を願う?      2004/5/17

古今東西、人々は、想像上の生き物をつくってきた。富と繁栄を願って。また。外敵から身を守り、悪霊を払うものを。

 

 美しく、力強く、気高く、中には愛らしい霊獣たちが、文化財や芸術品として遺されている。 

 

例えば『玄武』は中国の神話に登場する北方の守護神。日本にも伝わって遺されている。亀とそれに絡みつく蛇の姿で表されている。

 

中国に旅行した時のこと。

ウイグル自治区アスターナ古墳群出土品の鎮墓獣。唐代。

ウルムチ博物館の絵はがきから。

身近では、古い都市をちょいと歩けば、格式ある建物の屋根でいろいろな霊獣に会うことができる。龍や狛犬もそうですね。

 

 

 そこで、子供造形教室で、こんな生き物がいたらいいな、という思いを込めて、日常から一段上のステージの、心の中の憧れを形に表してみることになった。

 

空とぶ水色ぐま

 ●「飛んだ後に虹が出て、その虹を見た人は願い事がかなう。」と空飛ぶ水色熊をつくった子。

「でもその虹はすぐ消えてしまうの。」

うう~ん、なるほど。

 

 

ウロコしし

  ●「空を飛び、水の中を泳ぎ、陸地を速く走る獅子なんだよ。」

へえ~鱗があるのね

 

ハッピー

 ●「輪をどうやって浮かそう?」

心が悪い人を、心がいい人に変える輪を持っているといううさぎの天使。かわいいね。

 

ヘルドラゴ

 ●災いが起こると洞窟から出て、町や村に降りてきて鎮めるドラゴン。

「すごく目がよく、暗いところでもよく見えるんだよ。」

 

幸福をまねくにじの鳥

 ●「6枚の羽根で風をあやつって悪い心を追い払う。飛んでいる時、希望の光を出すしっぽがある。」

大きな翼で始祖鳥みたいな形。ロマンチックだね。

 

 

守護竜

 ●主人を守るために攻撃用の角を持つ生き物。

オレンジ色の美しい姿だね。

 

たいようたこきりん

 ●体中にあるつぶつぶを押すとお宝が出てくるたこ。

「いっぱい押すとトラップを仕掛けてくるんだよ。」

欲張っちゃいけないんだね。

 

このほか、いっぱい。

おもしろい形ができあがってすてき。

 

形状もさることながら、強く優しくみんなのためになる、夢のような能力を考えついてくれて感動だった。

さらに、勧善懲悪に留まらず、悪に対しても救いの手を差し伸べるところがウルウル来た。

欲望のエスカレートに歯止めをかける発想も感激した。。

 

その形を頑丈に保つ方法に頭をひねったことも楽しい課題だった。

 

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ドラゴンの目線は外に向かうか?内に向かうか?        2003/11/7

 次の文章の中で、女の子が書いたものはどれでしょう。男の子が書いたものはどれでしょう。

 

①・・・ここではいろいろ変なことがあるのです。『犬小屋に入らない犬』とか『水を飲んでいるドラゴン』とか・・・

 

②・・・池に飛び込みそうな車、端から落ちて地面にぶつかりそうな車、路線の上にいる犬・・・砂漠化してしまった町にわずかな緑が・・・不思議で危険いっぱいの村・・・

 

③・・・魔女はみんなと仲良しで、お仕事をがんばっています。何かがあるとき、おかしやケーキをつくってくれます・・・

 

④・・・大金持ちの車が行くと、一人目のかいじゅうがいました。そのかいじゅうは二人目のかいじゅうと戦いをしようとしていました・・・

 

⑤・・・池でカエルとウサギが水浴びをしています・・・砂場にハートが落ちています・・・ちょうちょうが空を飛んでいます・・・

 

 これらの文章は、こここども造形教室で、『ふしぎ村』というテーマでジオラマ仕立ての作品をつくった時に、子供たちが自分の作品に添えた説明文。

 絵や作品をつくる時、題名をつけ、お話をつくっている。考えをことば化すると、お話がどんどん広がっていくし、テーマがはっきりして、作品に主張ができるからだ。

 

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以下、その作品と答え。

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①男子 4年

「へんな所」

②男子 5年

「砂漠化危険」

③女子 2年

「ああ、まじょさん、大いそがし」

④男子 3年

「かいじゅうだらけの町」

⑤女子 2年

「どうぶつの森」

 一括りにはできないけれど、その中で気がつくことがある。女の子は、いいお天気の下でそこにいるみんなと仲良しでお腹も満足モード。男の子の話は、旅に出たり侵入者があったり、そこに危険や不具合が生じて、解決しようとしたり。

 学年が小さいほど、その違いは顕著。それは本能によるものなのか、環境によるものなのか。

 学年が上がると本人の自覚が促すのか、教育によるものなのか、違いが極端ではなくなる。

 

 都会に住む私の子供たち夫婦は、夫も妻もタフに仕事をし、家事を同等にこなしている。息子や婿を見て、今どきの男の子の能力に母親としては、妙に感心したものだった。私たちのスロー・テクな暮らしではこうはいかないと思いながら。

 ある東京人の作家夫婦の、山の別荘に来たら、女仕事・男仕事と役割分担をしたほうが生活がうまく機能する、という話を読んだことがある。

 マンモスのいたころ、男たちはチームを組んで遠い道のりの狩りに出かけた。やるかやられるかの一瞬の勝負。そして獲物を持って、迷子にならずに帰還。女たちは洞窟で、今、目の前にいる、か弱きヒナをしっかり抱いて次の働き手を育ててきたのだ。

 

 一族の繁栄を勝ち取っていく能力。一方、今この瞬間の、満ち足りた時間・空間をつくりあげる能力。

 視点が異なるだけで、どちらも必要。互いに認め合い、尊重し合ってこそ、世の中はうまくいくのでしょう。

 

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木の絵をつくりましょう   2003/7/21

「さあ、木をじっくり眺めましょう。木は地面から生えます。上に向かって伸びます。どんどん枝を伸ばしましょう。途中、枝分かれします。もっと伸ばしましょう。あっ、紙に入りきらなくなりました。紙を貼り足しましょう。

 

この木はどこに生えているのですか。

おや、洞に動物が住んでいるんだね。

こっちの紙に描いて、切り抜いて貼りましょう。

木登りしている子もいるのね。どこに貼ったらいいかな。

おっと、風が吹いた。木の先っぽがしなりました。

 

 画用紙の上に『木を育て』る。

 

 頭と手を生き生きと働かせ、自分の世界をつくりあげる。ここは子供造形教室。

 本物を観察するとその「つくり」がわかる。ファンタジーの世界と言えども、子供は科学的認識を獲得していく。目的を持って自分で考えてつくることは、単にモノをつくるだけにとどまらず、言葉の世界と結びついてすべての学習や生活に広がっていく。

 

 もくもくと手を動かす。いや、それ以上に活発に頭が働いていることでしょう。それはおしゃべり仲間との単純な手作業とは異なる次元。その手の活動がさらに次の創意を生み出す。

 

 しくじった時には何とかうまくやろうと反省と向上心が湧く。うまくいった時はうれしい気持がこみあげてくる。制作過程には感動のドラマがぎっしり。

 

 子供は図や記号交じりの文で、わかりやすくそれを表現する。全体を把握し、創意工夫しながら到達すると、立派なプレゼンテーションをつくることができるのだ。

 

 『木の絵を育て』ながら『自分を育て』ている。

 

 最近、製造の世界で、「セル生産」という方式を見聞きする。完成までの全工程をひとりの人間が受け持つ。従来のライン式生産よりも無駄がなくて生産効率が高くなったそうだ。自分のペースで責任感を持って仕事に集中し、人間性復活の源にもなるそうだ。

 

 時代がどのように変わろうとも、人は誰でも、目的を持って創意工夫し、能力をフルに発揮して、望むことがらに到達できた時に、最高の気分になれるものなのでしょう。


外はひゅうひゅうキャンドルづくり       2002/11/18

木の枝がしなるように揺らぎ、葉っぱが渦巻きながら舞い上がる。キャンドルづくりシーズンの到来だ。子供造形教室のガラス窓が蒸気で曇る。

 

 空き缶にロウを入れて大鍋で湯煎する。

「あれー、缶の中に水が入っちゃった。」

うううん、ロウが溶けたんだよ。ロウはまるで水のように無色透明な液体になる。それを型に流し込めば、そのままの形に固まる。

 

 ロウに色をつけるカラーワックスもあるが、原料が同じロウであるクレヨンで間に合う。色数も豊富だし。絵具と同じように混合・濃淡自由自在。入れたらかき回してね。

「わぁ、クレヨン溶けたぁ。」

 

 缶を鍋から出しておくと、ロウが冷えて固まり始める。

「膜が張ってきたよ。」

かきまぜると、雲のような、泡のようなふわふわした感じになる。これを型に流し込んだり、手でおにぎりをつくるように自由な形につくったりすることもできるのだ。

 

「縞々キャンドルにしたいの。」

同系色の組み合わせもすてきだし、遠い色相同士もキリリとするね。

 型に流したロウがちょっと固まり始めた時に別の熱いロウを流すと、ほら、混ざり合ってグラデーション!

 

 できあがったキャンドルを違う色の熱いロウに浸けてコーティングすると、中の色が半透明に透けて見えて美しい。表面が柔らかくなるからそこを切ったり削ったりできる。手で押すと形を変えられるよ。

 

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 暖めれば溶ける。冷ませば固まる。そこに時間の塩梅。ロウの法則。自然の法則。クリックひとつで『次に行く』ことはない世界。

 時間の流れに伴う物事の科学的変化を認識する。こうしたい、ああしたいと思いが生じる。熱い思いを込めて自分のキャンドルをつくる。与えられたことをこなすのではなく、自分から湧き上がる思いを形に表現するのだ。

 

 いっしょうけんめいつくったキャンドルは、作者のメッセージを発信している。

ねっ、

「きれいだねー。」

「どうやってつくったの?」

って、ちゃんと受け取ってくれる人がいるでしょ。つくりあげた作品で、会話も弾む。周りの人に(とりわけ親に)気持ちの高揚・ときめきを共有してもらう。

 

 理解し、創造し、人と関わる。これ、子育ての必須要項なり。

 生活の中に実際の炎がなくなったこの頃、キャンドルの灯りは、じっと見つめてしまうほど心を静かに暖めてくれる。


絵をつくろう  2002/5/20

今回のテーマは『人』です。

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まず、粘土で人の形をつくってみよう。

 

 この粘土の人、手が長すぎてお猿さんだよ。自分の手はどこまであるか見てごらん。うーん、いいバランスになったね。

 

 では、粘土の体を曲げてみよう。Aちゃん、走っている形になったね。あら、膝って、そう曲がるの? 反対に曲がったら折れちゃうよ。自分の腕、触ってごらん。ね、腕は肘でしか曲がらないでしょ。関節のところでしか曲がらないんだよ。そう、背骨はいっぱい繋ぎ目があるから丸くなれるんだよね。

 

 

B君、ボールを投げるところがやりたいの?ピッチャーのフォームやってみて。C君・・・「ぼくはこうだな。」うん、投げてる、って、よくわかる形になったねー。

 

 じゃあその形を紙に描いてみよう。チョークで描きますよ、だーっと。指はドラえもんにしといてね。後で正確に描きます。

 

 初めはすっぽんぽんにしといてね。あら、手が伸びて描ききれなくなっちゃったね。紙を貼り足そう。

 では、いよいよ服を着せます。この人は誰だっけ?つまりどんな服にする?足は何を履いている?

 

 

 さーあ、色をつけよう。肌の色が最初。三原色でね。同じ色ができなくて、いいよ。自分の手、あちこち見てごらん。色が違うでしょ。Dちゃんのお肌とも違うし。服にも色をつけよう。何を着てるんだったっけー。

次は背景だ。この人どこにいることにする?校庭?はい。

 E君は山にいる人なのね。えっ。何色か、って?まず、なんとなく葉っぱ色や地面色を塗ろう。なぜならば、色は1回塗っておしまいではないから。何回も違う色を塗り重ねるよ。

 肌色には青が含まれているし、葉っぱには赤が混ざっているし、海は赤や紫で下塗りすると、本当らしく見えるんだよ。反対の色が働いてくれるの。

 

 

えーっと、背景にお話が欲しいな。何か付け足そうか。松を?じゃ、こっちの紙に描いてね。切り抜くよ。切り抜いた松、どこに置いたらすてき?そうだね、そこ。では貼り付けよう。

 

 Fちゃん、ひとりでマラソンしていると寂しいね。この小さい紙にもうひとり描こう。切って貼ろうね。この辺に転んでいる人も欲しいの?わー、いっぱい部品ができたよ。

こうして、さまざまな『動く人』ができあがった。海に向かって叫んでいる人、ストレッチ体操をする人、泳いでいる人、ボクシングをしている人、長椅子でくつろいでいる人、ヘディングシュートをする人、などなど。

 

子供造形教室で、『人の絵』をつくりあげた時の様子から、でした。

 

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これになる前を知ってる?  2001/9/17

ジュズダマが実をつけ始めた。青いけれど十分まん丸い。畑でわっさわっさ育っている。

 

「取ってもいーい?」

庭で子どもたちが叫んでいる。

「あれっ、なかなか取れないよー。」

 

へーえ、そうなんだ。良く熟したこのイネ科の実は、葉っぱの付け根からじゃらじゃらはずれて遊ぶのにもってこいの材料だ。が、青い実がはずれにくいとは知らなかった。

 

「きっとまだ青い実は、今地面に落ちたって芽が出ないから、取れないようにできているんだねー。」

 

大昔のこと。東京でも原っぱにジュズダマがうじゃうじゃ生えていて、子供の私はよく実を集めて遊んだものだった。

世代が変わり、その時子供だった我が子とジュズダマで遊ぼうと思ったら、

どこにもない!

ある日、お母さん見つけたよ!と言う。

長靴、バケツ、スコップを持って車で馳せ参じた。

ちょろちょろ流れるどぶ川のへりに群生していた。

格闘して、やっとちっちゃな株を取り分けて持ち帰った。

今我が家の畑にあるジュズダマはその子孫だ。

 

これから色づいてジュズダマが熟したら、収穫して、布を袋状に縫って、中に詰めて、お手玉みたいな、枕みたいな、『何か』をつくるのだ。実が熟していく間、どんな形につくるか考える、時々このジュズダマを見に行きながら。

実が色づいていく間に、考えも熟していく。ああしようかな、こうしようかなと、心の中で転がす。

 

 


「普通の子」が突然冷酷になってしまうニュースに驚かされる。悲しいことに、自分の未来すら切り捨ててしまう子らがいる。

 あるできごとは流れの中の切り口に過ぎない。『時』の数直線上の一点なのだ。その一点には、「その前」も「そのあと」もあるのになあ。

 私たちは便利な製品に囲まれて暮らしている。しかし、手につかむことができるのは、長い工程の一部分だけだ。

 だからこそ、過去から未来へ時が移り変わっていく中で、モノが熟成していく過程に関わっていきたい。それは、時間の流れや、人の知恵や労働によって、生み出される。そこには感動的なドラマがある。逆らうことのできない自然の法則がある。

 

ジュズダマが育つ。子どもたちが考えてモノをつくる。楽しみだ。心のやわらかいところが温かくなる。私も育てられている。

 

 アメリカのどこかの、とても荒れていた学校の記事を読んだ。菜園で作物をつくり、学食のメニューにのせたら、生徒に安らぎを取り戻せたそうだ。

 

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より生(なま)を  2001/1/22

「あのねー、きょう学校休んだの。」

はにかみながら靴を脱いで上がってくる。

「でも、もう治ったから来ちゃった。」

 

 子供の成長は速い。まるで脱皮するように変化していく。幼虫を何回も繰り返す子もいる。さなぎの時間が長い子もいる。でも、みんな必ず羽化する。何年間も同じ子と付き合っているとおもしろい。ああこんなに大きくなったなと。

 

 子供との会話はその時勝負だ。夕方、新鮮に反応できるように体力を温存しておく。

人はみんな違う。性質や気分だって違う。その時々によっても違う。気持ちが行き交うようにしたい。

「あー、ここへくるとほっとするよ。ストレス解消になるの。」

「へーえ、そうなの?」

 

居ながらにしていろいろなことを手軽に楽しめる反面、管理をされていることも子供は感じている。

 

 人は自分の頭で考え、思い描いたことを自分の方法で具体的なことに実現していくことが、究極の満足なのだと思う。ああやったりこうやったり、試行錯誤しながらやりとげていくことが達成感を満たすのではないか。

 時代の流れは感じている。が、あえてアナログ的な活動をやりたい。時間の経過に伴う物事の変化を見る。触る。子どもと輝く時間を共有したい。

 

 気に入る色を、微調整で絵具を混ぜてつくってみる。

「混ぜ合わせた絵具の色と、乾いてからもう片方を塗り重ねてできた色とでは、違うね。」

「うまくにじませるのには、いつ混ぜたらいい?」

 

時間・温度・湿度の塩梅の微妙さ。一定に調整された空間の中のできごとではなくて。そこにじいっと自分の作業を見入る子がいる。

 

「そう、これは宇宙の法則なんだぞ。」

その日の流れの中で遊んでるような空間。生(なま)の感覚を大切にしたい。

 楽しい教室にするには私自身が教室を楽しむことだ。楽しい生活をすることだ。

 赤ちゃんが、光や音のある方向や揺れ動くものに、首を回して反応するように、私も奇麗なもの、不思議なもの、知らないものに関心の目を向けて、いつも心のアンテナを広げたいと思っている。

 

 これって、私が日々をときめいて暮していい、大義名分なのだ。

 

 今日も夕方子供たちが来るのを、ちょっぴり緊張しながら待っている。

 

 

 

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ところ変われば  2000/7/17

汗だくで草むしりをする。一息入れる間もなく後ろを振り返れば、もう次の草が生えているようなこの頃。

 

  去年の夏の終わり。フランスのアミアンの家庭に滞在する機会があった。アミアンはパリの北、ドーバー海峡に至る途中の都市。日本近辺の緯度でいうと、樺太の南半分あたりに位置する。しっとりとした都会風の街並みは、美しく花で飾られていた。「フレンチ・ガーデニングだ」と誇らしげに彼らは言う。

 

 滞在した家。第二次世界大戦で空爆を受けなかったので、18世紀の建物に住み続けているという。

代々の当主が時代に合うようにリフォームしているそうだ。

隣の家とは壁を接してつながっていて、外部からの敵襲を防げる街になっているのだという。

 

重厚な門を開けると玄関扉があり、その奥に庭が広がる。

昔は馬車でこの門を通り抜け、今は車ごと通り抜けて奥に駐車する。

 

その家に家庭菜園があった。なす、とまと、きゅうり、苺、豆、パセリ、サラダ用の菜っ葉、なし、いちじくなどが花壇のように美しく整えられていた。時々籠を持って摘みにいく。そのまま軒下や台所に置いておく。リヴィング雑誌で見る、あのカントリースタイルの風景だ。

 

 私は昔、絵の勉強で静物画を描いたとき、困ったことがあった。モデルの果物が熟れてハエがやってくるのだ。さてここでは、まさに絵になるほどいろいろな果物を大皿に盛り合わせて、部屋に飾っていた。食事の度に食べる。余る。新しく何か補われて次の食卓に載る。その間、冷蔵庫に入れない。ラップもかけない。ハエも来ない。

 

 こういう静物画を描きたかったのだが

 

私は野菜を描いたのだった。

 

 

 作物は同じ木で春から秋の初めまで生り続けるのだそうだ。夏を越す間、極端な気候の変化がないからだ。花も同じ花が咲き続ける。と言うことは、雑草も同じものが咲き(?)続く=違う種類が生えてこない=春にいっせいに芽吹いた草をとってしまえば、その後はほとんど生えてこないと言う。なんだ、簡単じゃないの、ここのガーデニングは。

 春から秋の間は、始終バーベキューをすると言う。私もしばしばその快適な食事に与った。日本では、蚊の襲来に悩まされたり、寒い日もあったりして、けっこう手間がかかる。

 ここの最寄りの海水浴場はメキシコ湾流のお陰で、4か月近くもシーズンがある。寒くない土地柄なのだ。この家の犬にはフィラリアの予防薬を飲ませない。蚊がいないのだもの。

 

                ・・・・・・・・・

 

 花が咲き乱れる我が庭で、テーブルにさっと色鮮やかなクロスを広げ、素足にサンドレスのいでたちで優雅に食事を楽しむという夢は、この滞在ですっ飛んでしまった。こういう暮らしはこういう気候風土の中でやればよし。日本には日本の生活のスタイルがあるのだ!熱帯から寒帯まで持っている故の、日本の美しい四季をを楽しもう。

 ハーブは、みょうがとしそとねぎで十分!

 

 滞在の間、フランス北東部を一回りして、ベルサイユ宮殿にて。一家の父撮影。